教えるものではない?

「サッカーは教わるものではない。」

 

 

割とよく聞くトピックのような気がします。

 

 

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で、自分に言わせると、これは内容によると思っています。

 

 

「サッカーは教わるものではない」の言い分としては、

 

コーチが教えることで、判断力を養う場を選手から奪ってしまうことになるから。

 

 

ざっくり、そういうことのようです。

 

 

確かに。

 

ですが、それは「判断する材料を選手が持っている場合」に限定されると思います。

 

例えば、

 

ある程度のボールスキルを有していて、視野が広く状況を捉えられていて、基準となる戦術が頭に入っている選手。

 

そのような選手にゲーム形式の練習中に「このシーンでは、こうしなさい」みたいな話をすると、そうかもしれません。

 

 

が、ボールスキルが低くてミスが多く、バランスが悪く視野が狭く、戦術を理解していない選手。

 

いると思うんですよね、結構。

 

そのような選手に、「自分で見て考えて判断しろ」みたいなことを言っても効果的ではないと思うんですよね。

 

もちろん、「こうしなさい」とだけ言うと、応用がきかないので、掘り下げた話をする必要はあります。

 

が、そこは「教えること」だと思うんですよね。

 

 

引き出しをたくさん持てるように「教える」。

 

その上で、その引き出しを効果的に使う。

 

また、その引き出しをベースに新たな引きだしを創る。

 

 

そこらへんが考える力を養うことになるのであって、むしろ教えないと考える力はつかない。

 

なぜなら判断する基準がないからです。

 

そんなふうに思うわけです。

 

 

自分はフィジカル強化に関する専門職ですが、トレーニングに関してはまずは教えるものであるという認識です。

 

なぜそれをやるのか?そこには明確な理由があるべきであり、それを選手自信が理解することが大事です。

 

そう考えると、「やらされ感覚になりがちなもの」が理由を知って「主体的に取り組むもの」になると思います。

 

さらには、教わった知識を活かして、選手が応用できるようになっていければベストですね。

 

 

ちなみに、その「教える」内容というのは指導者であるこちらの価値基準であり、そこがズレていると、当然選手の取り組む内容も不十分なものになってしまいます。

 

現在、その価値基準が「左右非対称が正常」という形でひっくり返りつつある現状があります。

 

過去に伝えた内容とはトレーニングの詳細が明確に変わってきています。

 

より安全で、より効果的。

 

選手としてのレベルや競技生命に直結する部分だと思っています。

 

 

今後もめっちゃ教えていきます!

 

 

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。