エクササイズを競技に似せない方が良いという話について

最近読んだ記事に、このような話が。

 

 

 

競技に似せた形でのエクササイズは、競技に反映されやすいイメージが湧きやすい。

 

監督・コーチも好意的に捉えやすい。

 

が、実際は全く逆で、競技に似る必要は全くない。

 

むしろ動きが似ていても、負荷のかかり方からすると異質なものになってしまうと逆効果。

 

また、競技で酷使される部分がさらに選択的に酷使されるリスクがある。

 

筋トレでは効果的に筋力を最大限高めることで練習だけでは伸ばせないレベルの到達を狙うこと。

 

レーニングと練習は別物として捉えるべき、と。

 

 

なるほどなぁと。

 

僕も以前の記事で、「サッカー」と「カラダ」という話を書きましたが、まさにこれは「カラダ」にフォーカスしている話ですね。

 

基礎的な体力の向上を考える上で、競技特性にこだわる必要性は薄い。

 

「アスリートとして」ということですね。

 

 

ここからは自分の考えですが、、

 

ストーリーとして競技に繋げることは必要かなと。

 

読んだ印象として、読み手が「だから普通に筋トレしてればいいんだな」という結論になりやすいような。。

 

 

それもアリだとは思います。

 

が、それだとサッカー(他の競技もそうかもですが)の指導者が筋トレ肯定派と否定派に分かれる側面が永遠になくならないと思うんですよね。

 

それはもったいないこと。

 

ストーリーを創り、そこに乗せてトレーニングを進め、パフォーマンス向上に繋がったと感じてもらうことが大事だと思います。

 

もちろんそう考えた上での記事だったのかもしれませんが。。

 

読んだ印象ですね。

 

発信て難しいですね。

 

 

 

また、全面的な基礎トレーニングでも、考慮すべき部分もあると思っていまして、、

 

例えば、スクワット。

 

サッカーで考えた時に、踏ん張る癖がつくリスクがあると思っています。

 

競技の実際では、なるべく踏ん張らない方が良いと思っています。

 

マークを外されたり、逆を突かれて一気に置き去りにされる要素になりうる。

 

記事には登場しませんでしたが、競技と乖離していることによるデメリットも考える必要があるかと。

 

そこも考慮した上で、ストーリーを創れば良いかなと考えています。

 

メリットは確実にあるわけですから。

 

 

レーニングて面白いですね。

 

 

 

また、僕も真意と違う受け止め方をさせてしまっている可能性があるなぁとちょっと反省しました。

 

 

発信て難しいですね。

 

 

 

 

最後までお読み頂きありがとうございました。