「素走り」はいかんのか?
今回は「走る」ということについて書いていきます。
僕はフィジカル強化の中で、「走る」という部分はとても重要視しています。
相手より走れるということは、持久力があるということ。
それは時間とスペースを制することに繋がりますし、判断や技術の精度とも密接な関わりがあります。
相対的に余裕がある中でプレーできれば故障のリスクも下がることに。
「走る」という部分で飛躍に繋がった選手も数多く見てきました。
で、その中で、
「走りこみ」「素走り」
これについての自分の見解を書きますね。
まず、前提としておきたいのは、
「試合の中で走れるようになる」ということが目標であるということです。
で、それをもう一段進めると、「走れる能力を備える」ということ。
試合の中で走るか否かはチームの戦術や試合の状況に応じて大きく影響を受けます。
ただ、それでも「走れる能力を備えること」で、以後の年代・チームでどのような戦術にも対応できる幅が広がります。
「走れる」けど「走らない」ならまだ良い。
「走れない」は一番NGだと考えています。
育成年代では「走れる能力を備える」ことをして、次へ送り出す。
それが選手の可能性を拡げることに繋がると考えています。
繰り返しになりますが、目指すのは「走れる能力を備える」です。
それはイコール「走りこみをたくさんやらせる」ではありません。
ここが大事なポイントだと考えています。
走りこみをたくさんさせても「走れる能力を備える」という部分に繋がらなければ意味がありません。
また、逆に言えば、「走れる能力を備える」という部分が達成できていれば、走り込みをする必要はありません。
不明確な中での走りこみが昨今の批判の対象になるのは理解できます。
が、「走ること」はうまく使うと効果的だと考えています。
走りこみをするには、その方が良い理由が必要です。
それがないのであれば、ボールや判断が伴う方が当然効果的です。
では、「素走り」が効果的になるのはどういう状況なのか。
次回に続きます。
最後までお読み頂きありがとうございました。